奇跡の軍艦 駆逐艦 春風
戦争体験と証言 渡辺 保 著
発刊にあたって
三、一一 東日本大震災の、あの物凄い大きな津波と、太平洋戦争の激戦とが重なりあった。
当時、私の乗艦していた駆逐艦「春風」は、日本の本土から大勢の陸軍の兵士を南方へ送る輸送船団を護衛する任務についていた。戦況が激しくなり、輸送船が目的地へ向かっての航行中、アメリカ海軍の潜水艦が発射する魚雷によって、次々と沈められた。魚雷が命中し爆発沈没する船は、山のように積んであった武器や、舟艇の他、諸物資が海に投げ出され、積んであった重油も大量に流れ出た。同時に乗っていた乗組員や・南方の戦線に行く将兵が海に投げ出され、瓦礫とともに浮遊している。その光景は、あの大きな津波で万物が一気に呑み込まれ、家一軒丸ごと、大きな自動車も船も、ちりぢりに砕かれた瓦礫と共に流れ行く様に似たり。
護衛艦や僚船は、次の潜水艦の攻撃を避けながら、縄梯子を降ろし、瓦礫の中から、重油の中から、必死に遭難者の救出にあたった。しかし、力尽きて没して行く兵士の数知れず。武運拙く海の藻屑と消え去ったのである。
一方、あの大津波では、一瞬にして二万人近い方々が波に浚われ帰らぬ人となった。
あらためて双方の犠牲になられた方々のご冥福をお祈りする。
また、東日本大震災で被害にあわれた方々に対し、心からお見舞いを申し上げます。
「春風」を編集するにあたり、多くの海戦史、輸送船団史、船舶史などの文献を読んだ。
過ぎし太平洋戦争の人的、物的被害の大きかったこと。特に南方進出のための陸軍部隊の多くの将兵を亡くし、保有する日本船舶の殆どを喪失した損害は大なるものがある。
太平洋戦争の三年八ヶ月に及ぶ血みどろの戦いの結末は、陸軍関係百四十三万九千余人、海軍関係四十一万九千余人、官庁民間人六十五万八千余人、合わせて約二百五十二万人余が戦死又は死亡した。傷病の身となった者約十万人、更に戦災による罹災者八百七十五万人を加えれば、一千百三十数万人と云う膨大なる、人的被害である。
また物的損害では、昭和二十三年の物価換算で六兆八千億円の損害であったと云う。当時封書の郵便が五円であり、現在八十円と云うと、六十倍であるので、これを換算すると百八兆円の損害と云うことになり、日本の年度の国家予算とほぼ同じである。
また船舶の損失については、開戦時の保有数二千五百二十余隻、六百三十万トンに、開戦より終戦までに建造したもの千二百五十隻、三百二十万トン。合わせて三千七百七十隻、九百五十万トン。これに対し被害に遭遇した船舶の数約三千六百隻、約九百万トンであり、完全に喪失した船舶二千四百余隻、八百万トンと云われておる。
私は、海軍で「春風」の通信員として乗艦しており、護衛していた輸送船団の船舶の沈没に遭遇した。それは筆舌に尽し難い。
海ゆかば 水漬くかばね
山ゆかば 草むすかばね
大君の 辺にこそ死なめ
かえりみはせじ
の歌詞にあるが如く、陸軍の将兵が、目的地にすら到着しないうちの、輸送船沈没で命を落としたことは、さぞかし無念であったことと想像する。
「春風」の、この体験と証言から、戦争が如何に愚かなことであったかを感じ取っていただき、二度と戦争を起こさないこと、起きないことを心から祈念するものであります。
平成二十四年七月
駆逐艦「春風」 著者 渡 辺 保